『金魚伝承第29号』の編集作業を終わり、ホッとしたと同時に、メチャクチャ反省する点があった。
歳はとったものの、魚や水生生物、食虫植物、日本の水草など興味を持ったものはトコトン追究する方なのだが、金魚、ことらんちゅうに関しては、ここ最近、「真面目に見ていたのか?」と言えば、実はそうではなかった気がしてきたのである
金魚の撮影を始めてから20年弱、らんちゅうの撮影を始めてから17年…
「飽きた」訳ではないのだが、例えば、日らんや本部大会では最高で188匹、一人でも100匹以上の撮影をすることが何回かあり、「撮影をこなさないといけない」という気持ち優先での撮影をここ数年、やってきたような気がする
今日、愛媛の河童氏から電話!
そこで今年の総括でもないが、第60回日らんの魚の話しをした。それに第59回岡山錦鱗会の品評会時の話しにもなったのだが、覚えていない魚がいることに気づいた
今回の『金魚伝承第29号』で取材させて頂いた方をキャスティングしていう上で、もちろん、魚を飼う人が主役なのだが、魚を作っている人を探すことが大切なのである。
6月の研究会時の魚を見ても、日らんのホームページ用にメールされてくる魚を見ながらも、「あっ!この人に取材を申し込もう!」と思うのであるが、今年、何人か逃してしまっている人がいたことに気づいたのである
「ヤバい!魚をちゃんと覚えてない」
これって致命的なのである。
別に偉くなった訳でもなんでもないのだが、撮影に疲れちゃってるというか、「予定数の撮影終了!」って気持ちで満足してしまっている自分がいたことに気づいてしまった
愛媛の河童氏のことを知ったのは、まだ岡山錦鱗会の品評会が県営プールで行なわれていた時のことで、前頭18枚目あたりに入賞した時のことであった。もう8年?9年?前のことである。
当時、撮影は役魚16匹を撮っていたのだが、撮影後に前頭の魚を一生懸命に見て、良い魚を作っている人を探していたのである。
それをサボっている最近があったのである。
今年、関東アズマを飼育したのだが、関東アズマの型については、それこそ、らんちゅうより前、20年弱は見て来たのである。
日本オランダ、関東アズマについては、「長手」という言葉に惑わされやすく、「長手」と聞くと、「長くなければならない」と勘違いしやすい。関東アズマでは、浅葱色という言葉に惑わされる人もいるし、体に赤があってはいけないと勘違いしてしまう人もいる。「それで楽しんでいる人がいるのだから、いちいち意見を言うのも止めておこう!」と思っていた自分もいた。
特に関東アズマは「三色なければならない」という人もいるし、「尾柄に赤があってはいけない」という人もいる。「三色なければならない」という審査基準を最重視して、「型より体色」という人もいるし、「尾柄に赤があってはいけない」ということはなく、「尾柄に赤が入った個体は種魚には使わない方が良い」という話しを間違って思ったことである。
そういったところはこれまでの金魚文化をないがしろにしやすい部分があり、「若い人たちに意見を言っても、見た事のないものを説明するのがかったるい」と思った自分もいた。
土佐錦魚にも「丸手」と「長手」がおり、「丸手」は尾の前骨の渡りが短く、「長手」は尾の前骨の渡りが長くなる。らんちゅうでも「丸手」、「中寸」、「長手」がおり、「中寸」、「長手」が最近は流行りだが、体の長さだけではなく、それに伴い腹型の重要性が軽視されてきてしまっている部分があることを
uusanと話していた。
更紗琉金に関しても、「顔が命」という見方がある更紗琉金で、顔つきのシャープさが軽視されている面もある。
そういった日本で改良されてきた、日本金魚の良さをもっと昔の写真も使って、説明しておく必要もあるかな?と感じた。
「来年は撮影だけでなく、魚を一匹、一匹しっかりと見て行こう!」そう思い直した自分がいるのである。
初めて見た、出雲ナンキンの迫力、「庄内金魚はなんぞや?」で山形県余目まで行ったこと、津軽錦の迫力、高知で見た本場の土佐錦魚…やっぱり自分が興奮した経験を画像で伝える、「本物、良いものを見てもらおう!」という動きを来年は積極的にやろうと思ったのである。
もちろん、今はオフなんで、金魚を見て歩くことはしないが、「金魚に関してもまた初心に帰ろう!」と思い直した昨日、今日だったのである。